主題 <わたしにあるものを上げよう>
聖書箇所 使徒の働き 3章 (2011年8月28日)
今日のみことば「すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」と言って、彼の右手を取って立たせた。」(6)
主の力を受けた弟子たちは、実に大胆な行動をします。それがキリストの御名を信じる信仰によってあふれてきます。
彼らは、金銭にこだわりを持ちません。その日は偶然に財布を持ち忘れていたのかも知れません。いや、彼らは福音の宣教のためなら、財布を持つなと教えられていた主のご命令を実践していたのでしょう。彼らにあるものは、ただ一つ、キリストの御名です。これ以下でもなく、これ以上でもありません。そして御名の対する信仰だけで十分なのです。
現実の置かれている状況の中で、財布があった方がずっといいこともあるように見えます。その結果、もっとも大事な「主の御名」に対する信仰と行動がずっと後退してしまいやすいのです。
私たちの中に持っているこの世の名声や富や力が何の役に立たず、キリストの御名への信仰のみが奇跡にいたります。ペテロとヨハネに備わった霊のまなざし、それこそ主イエス・キリストのもっておられた力でした。この奇跡は、弟子たちのめざましい働きを物語るだけではありません。彼らの中に働かれている聖霊の力であり、彼ら自身の能力や努力によったのではないことが証拠づけられたのです。
クリスチャン生活の根本が、自分への依存から自由にされることが大事です。依存とは、ダメだと思うことも、自己過信でもありません。ただ主のみこころを受け入れて、聖霊に依存することのみです。
今日、彼らの信仰を学び取り、<立って歩め>と語られなければならない人々の問題に囲まれています。問題を見つめて無力を嘆くよりも、信仰を増し加えてください、という祈りをしようではないですか。