主題 <みこころを求めて共に祈る>
聖書箇所 詩篇 69篇 (2013年8月21日)
今日のみことば「しかし、主よ。この私は、あなたに祈ります。神よ。みこころの時に。あなたの豊かな恵みにより、御救いのまことをもって、私に答えてください。」(13)
詩篇69篇1~12節では、ダビデは疲れ果て(3)、侮辱され(7)、不当な取り扱いをされ(8)、言いようもない苦しみのただ中におかれていることを率直に主に訴えている。
13節に「しかし、主よ。この私は、あなたに祈ります。神よ。みこころの時に。あなたの豊かな恵みにより、御救いのまことをもって、私に答えてください。」と祈り、困難の中に主からの解決があることを期待して祈っています。特に、「神よ。みこころの時に。」と祈っていることに注目したい。私たちは、困難の中にあれば、ダビデのように先にあげられているような具体的な境遇にあればなおのこと、速やかなる解決を期待するのが当然に思う。しかし、「みこころの時に。」と言われているということは、何でも早く解決されれば良いというように考えるのではなく、主の解決の時があり、主の与えて下さる、応えて下さる解決こそが最善であるということを考えてなくては生まれてこない告白であることを思わされる。
今日も私たちは主の前に祈るべき課題がある。また、中には困難の中に主の助けと導きを求めていかなくてはならない課題があるのではないだろうか。そして、いくつかの課題を祈っていくとき、神のなされる最善があることを覚え、そして、神の時があることを覚え、祈り待ち望むものでありたい。願わくは、個人の祈りのみならず、困難の時には特に兄弟姉妹において共に祈りとりなす祈りがささげられていき、主のみこころを求めて共に祈り合うことができたならば幸いである。