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2014年6月16日 (月)

主題 <いつも主をあがめて>

聖書箇所  詩篇 70篇      (2013年8月22日)
 
今日のみことば「あなたを慕い求める人がみな、あなたにあって楽しみ、喜びますように。あなたの救いを愛する人たちが、「神をあがめよう」と、いつも言いますように。 」(4)
 ダビデは困難の中で、真剣に「主よ、どうかみこころによって」(1)と祈ったのではないだろうか(40:13参照)。これが非常に重要であり、彼は「単に助けてください」と祈るよりも、より神に対する深い信頼と確信をもって祈っている。彼は、たとえどのような事態の中にあっても、神のみこころでさえあれば、その祈りは聞かれるのだという強い信仰と確信を持っていた。
ダビデは自分のいのちをねらっている敵対者が、恥を見、辱められ、卑しめられますようにと、人をのろうような祈りをしているが、これは単に復讐を祈っているのではない。神が自分の敵対者を滅ぼすことにより、自分を守ってくださるようにと祈っているのである。
ダビデは、主を慕い求める者が、主にあって「楽しみ、喜びますように」、いつも主を崇めるようにと祈っている。何と大胆な勝利に満ちた祈りだろうか。ダビデは今いのちをねらわれるような迫害の中で「どうか、主よ。助けてください」と祈っている状況で、主にあって、楽しみ、喜ぶことができた。彼はどこまでも、信仰をもつて、主を見上げていたのである。パウロは、「いつも主にあって喜びなさい」と勧めた(ピリピ4:4)。親は、子が喜ぶのを見て喜ぶ。神の救いにあずかった者が、主にあって喜び、主をほめたたえるとき、神は喜ばれ、神の栄光が現されるのである。
ダビデは、自分の弱さを告白している(5)。主に開かれる祈りは、主の前に裸になるほどの真実さが必要である。主に対する信頼に貫かれた祈りこそ、主に聞かれる祈りである。このような切なる求めが、主に聞かれる祈りの第一の要素である。私たちもこのように祈る者となろう。