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2014年6月16日 (月)

主題 <ただ主ひとり> 

聖書箇所  詩篇 72篇      (2013年8月24日)

今日のみことば「ほむべきかな。神、主、イスラエルの神。ただ、主ひとり、奇しいわざを行なう。 」(18)
 この詩はソロモンによる祈りであり、メシヤを待望する詩篇である。「王」と「王の子」とは、第一義的には、ソロモンとその子であるが、同時に王の子としてやがておいでになる、油そそがれた者、救い主、メシヤのことも意味していると理解することができる。
ソロモンは、良い人も悪い人も含まれている国民全体を「あなたの民」と呼び、民が代々にわたって神を恐れるようにと願っている。今日の教会を見るとき、信仰者だからと言って、必ずしも皆、立派な人ばかりではない。信仰者は、自分自身の姿を冷静に見るならば、何とも言いようのない醜い罪人であることを、認めないわけにはいかない。そんな者にもかかわらず、王の王であるキリストは、クリスチャンを神の民と呼んでくださるのである。ここに神の恵みと、義に生きる人生がある。私たちはこのことを感謝し、どのような信仰者をも、神の民と見ることができる心を養っていきたい。
イスラエルでは、真の支配者は主ご自身であり、王は、真の王である神のみこころを行う、しもべにすぎない。その使命に生きるためには、王は、神の公正と、神の義を頂かなくてはならない。信仰者は、天からの聖霊の力を頂き、賜物を用いて、教会の人々とこの世の人々に主のしもべとして仕える者である。それゆえに、日ごとに、ソロモンと同じように、神の義と愛と真実を、祈り求めたいものである。
ソロモンがイスラエルで最大の王になつた時の、神様の祝福が歌われている(9-20)。彼は、全世界が真の王をほめたたえるようになることを祈っている。しかしソロモンはこのように祈ったにもかかわらず、実際には自分自身が、この世の王と同じようになってしまった。人の限界がここにある。真の王、主イエス・キリストだけがこの理想を実現してくださるのである。