主題 <イエスの招きに対して>
聖書箇所 ヨハネの福音書 7章 (2011年8月11日)
今日のみことば「さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」」(36~37)
主イエスは、仮庵の祭りの終わりの日に群衆を前に「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。」と言って招かれました。仮庵の祭りの最終日には神殿の祭壇に水を注ぐ習慣があり、おそらくイエスは注がれる水を意識して、「生ける水」について話し出されたと思われる。
主イエスの招きのことばは実に明快であった。「わたしのもとに来て・・・」、「わたしを信じる者は・・・」と言って、明らかに主イエスのもとに来て信じるように促されていました。この招きに人々の反応はさまざまであったことが記されています。
ある者は「あの方は、確かにあの預言者なのだ。」という者。おそらくモーセ、イザヤのような預言者を指して言っていたのかもしれない。
ある者は「この方はキリストだ。」という者。ある者は「まさか、キリストはガリラヤから出ない・・・ベツレヘムの村から出る。」という者。これらは、キリストの来臨を聞き待ち望んでいたことが伺えるが、今、目の前にしているイエスがキリストであるということをはっきりとした確信をもって見ていないことが伺える。それぞれの人々の見解が、憶測を呼び、さらには混乱となって分裂していきました(43)。
さらにパリサイ人たちは一切、イエスの言われることに耳を傾けるのでもなく、イエスの話されていることに群衆は惑わされ、のろわれているとまで言いました(49)。
これほどはっきりとしたイエスの招きのことばに応じていく者が少なかったことは悲しむべきことである。現代においても、主イエスは招き続けておられる。私たちはどのように主の招きに応えるべきか。それは人々の論争で終始してしまうのではなく、一人一人が主イエスの前に行き、心の奥底から満たしてくださる主に出会うことが必要なことをまず覚えたいと思います。