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2011年11月 3日 (木)

主題 <キリストにあって生きる>

聖書箇所 ローマ人への手紙 6章  (2011年9月28日)

今日のみことば「このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。」 (11)

 1節「恵みが増し加わるために、私たちは罪の中にとどまるべきでしょうか。」と言い、神の恵みを豊かに受けるために、罪を犯しても良いと考えることや15節「私たちは、律法の下にではなく、恵みの下にあるのだから罪を犯そう。」と言い、神の恵みのもとにあるのだから罪を犯しても大丈夫というように考える質問に対して、いずれも絶対にそんなことはありませんと完全否定しました。その理由をパウロはバプテスマについて説明する中で教えていきました。
 まず、第一に、3節において、「キリストの死にあずかるバプテスマを受けたではありませんか。」と言い、キリストを信じる者は、キリストと共に死に、葬られ、罪から解放された者であることを確認しました(7)。
 第二に、4節にあるように、復活されたイエス・キリストのように、キリストを信じる者たちは、キリストにある新しいいのちを受け、それにふさわしく新しく歩むのであって、いつまでも罪の中に留まっていくことはありえないことを確認しました(5、6)。
 第三に、8節にあるように、「キリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きるようになる。」と言い、キリストの十字架の死による罪のさばき身代わりに受け、赦された者は、キリストが復活されたように、キリストにあってそれにふさわしく新しく生きていくようになることを確認しました。
 今日、罪赦され救われたキリスト者は、この地上にあって確かに罪の誘惑との戦いがある。しかし、罪の誘惑にあうときに、自分は「罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。」とのみことばにあるように、今や、キリストにあって生きた者であることを思い続けていくことが、この地上にあってキリストにあって栄光の望みを仰ぎ、キリストにあって与えられた新しいいのちに生きる信仰の歩みであるということを覚え、今日も前進させて頂きたいと思います。