主題 <カイザルに上訴します>
聖書箇所 使徒の働き 25章 (2011年9月19日)
今日のみことば「もし私が悪いことをして、死罪に当たることをしたのでしたら、私は死をのがれようとはしません。しかし、この人たちが私を訴えていることに一つも根拠がないとすれば、だれも私を彼らに引き渡すことはできません。私はカイザルに上訴します。」(11)
パウロを取り巻くユダヤとローマの支配者たちの権力と欲望とが明るみに出されます。フェストやユダヤ指導者といわれる人々です。歴史も著名な王たちによって記録されているように思いますが、国木田独歩がいうように、平民こそ歴史なのです。
こうした中で、パウロは第一に、悪いことをして罪に問われるなら逃れようとはしないと語ります。信仰者が振るわれるのは、人々の動きに目がくらむからです。ですから一つの決意をしておきましょう。それは友を沢山作りましょう。でもその中でだれかに追随したり、派閥に入って身の安泰と思ってみても、かえって落とし穴に陥るからです。会社やグループにおいて考えておく必要があります。
第二に、ねたみからパウロを訴えている人々には、根拠がないことを明らかにします。たしかに指摘したり、論拠とする点が正統に見えても、動機が違うのです。この地上の世界は、政治の世界も、至る所に支配したがる人がおります。嫉妬や権力欲の姿が浮き出てきます。
第三に、最善を選択する道を祈り求めましょう。直接に対決したり、論争したりすることはやめましょう。「私はカイザルに上訴します。」と決めたのです。こうして不思議な節理の中で世界宣教が進み、ローマにまで、さらにはイスパニアにまでも伸びて行きました。
私たちはこの地上の人々、それがどのような立場の人々であったとしても、人間的なやり方を捨てると、神による新しい道が用意されるものです。