« 主題 <確信をもって堪え忍ぶ> | メイン | 主題 <イエスから目を離さないで> »

2011年12月24日 (土)

主題 <信仰に歩んだ人々> 

聖書箇所 へブル人への手紙 11章(2011年12月29日)

今日のみことば「信仰によって、アブラハムは、試みられたときイサクをささげました。彼は約束を与えられていましたが、自分のただひとりの子をささげたのです。」 (17)

 11章では、信仰をもって歩んだ聖徒たちがいかに歩み、その歩みが賞賛されています。
1~3節では、神が語られたことを信じる信仰によって、私たちは、「望んでいる事がら」を保証され、「目に見えないもの」、つまりまだ目で見ていないものを確信するのであることを教えています。旧約聖書の時代の神の民は、そのような預言者たち、広い意味で、神のことばを預かり、それを語った者たちを通して、神が語られたことを信じる信仰によって賞賛されました(2)。
このように歩んで先人たちが紹介されています。それはイスラエルの歴史でもありました。一人一人の歩みは多くのことを教えてくれています。今日はその中で注目したいのは、アブラハムです。
神は、アブラハムを「大いなる国民」とすると約束されました(創世記12:2)。しかし、彼には子がなく、妻のサラは不妊の女であったが、神は、その約束を果たされ、子をお与えになりました。ところが、神は、その約束の子、イサクを全焼のいけにえとしてささげるようにと、アブラハムにお命じになります。それは、アブラハムにとって大きな試みでした。しかし、彼は、神を信頼して神のことばに従い、ひとり子イサクをささげたのである(創世記22章)。イサクもヤコブもヨセフも、同じように、神が語られたことを最後まで信じて、その信仰によって賞賛されました(20-22)。
アブラハムの人生を見ていくとき、その信仰にはじまり、試みの中にも、信仰に生き抜き、その人生を全うしたと言えるでしょう。そして、アブラハムに続く子孫を得て、さらなる多くの数々の民につながっていることは祝福の広がりを示し、今は、私たちにも及んでいる恵みをあかししてくれていると言えるでしょう。
私たちもこれから後の人々に続く、信仰のあかしをもて歩むことができたらと願います。