主題 <私は「私はある」という者である>
聖書箇所 出エジプト記3章13~22節(2012年 4月13日)
今日のみことば「神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある。』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。『わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた。』と。」」(14)
モーセは神様とはどのようなお方であるかを尋ねます。神様とはどのようなお方であるのか、それを人々がどう正しく受けとめられるのか、それがモーセの課題です。
現代もまた、神とはどのようなお方であるかを知ることこそ最重要な仕事です。
神はこのモーセの願いを通して、大切なご自分の自己啓示をしておられます。わたしは「ある」という者であるといいます。
神とは「ある」という方であることをどう理解したらいいのでしょう。「ある」とは英語で<I am>です。神はいつも、どのような状況の下にもあると言われます。今まで漠然としていた神が急に現実味を帯びてきます。「私たちは神の中にあって生き、動き、存在しているのです」(使徒17:28)。「たといあけぼのの翼をかって海の果てに住んでも、そこでも御手が私を捕えます」(詩篇139:8~10)。
神はあなたにとって常に「ある」方です。すべてを神は、み手の中に持っておられます。愛も平和も力も慰めも、糧も、人間もみ手にあります。神はあなたに対してご自分を啓示し、そのことを深く受けとめることを期待しておられます。 もう1つの名は「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、主」です。「永遠に私の名、これが代々にわたって私の呼び名。」(15)と宣言されました。哲学者パスカルは、生きた神であって、死んだ者の神でなく、哲学者の神でもない、今も生きている神と書き、着ていた服に縫い付けていたそうです。思索によって形つくられた神々でなく、今も生き生きと働いて導いて、関わって下さる神です。