主題 <わたしの目とわたしの心は、いつもそこにある>
聖書箇所 列王記第一 9章 (2012年12月18日)
今日のみことば「わたしの目とわたしの心は、いつもそこにある。」(3)
王に即位した頃にギブオンで語られた主は、今や20数年の後、再びソロモンに現れて語られました。神殿建築が終り、その祈りを聞いたと言われ、神の目は常に神殿に注がれているといわれている。
もし、全き心と正しさをもって歩くなら、ダビデの王座を永遠に確立しよう(4~5節)。けれども、もし、その神への敬虔を忘れるなら、反対に失敗と崩壊と物笑いになると警告している。
旧約聖書での契約は即物的、現世的なものです。もし、神のみこころに従う生活を歩むなら、必ず繁栄があることを神は約束されました。
しかし一方、神を愛することを第一にしないなら、反対のさばきのみことばがあります。旧約聖書のイスラエルの歴史はその神の審判のことを物語っているのです。
私たちも、神をおそれることを忘れた時、現実にさばきがあります。霊的にも祝福を失い、現実的にも祝福を失うのです。神様の目と心は常に神の宮である教会にあり、クリスチャンの心の中にあるのです。
<きょうの祈り>主よ。この個人的な祈りにも、教会における兄弟との祈りの中に、あなたがいて下さることを感謝します。臨在を常に覚えさせて下さい。