« 主題 <自己保身の戦いの末> | メイン | 主題 <主を試みることば> »

2013年1月16日 (水)

主題 <苦しい時だけの信仰>

聖書箇所 士師記 10章     (2012年 9月30日)

今日のみことば「彼らが自分たちのうちから外国の神々を取り去って、主に仕えたので、主は、イスラエルの苦しみを見るに忍びなくなった。」 (16)

 アビメレクによる混乱の後に立ち上がったのは、イッサカル人トラであった。イスラエルを「救うために」と表現されていることに、彼の働きの中心を見ることができるだろう(1)。彼は23年にわたってイスラエルを治めた(2)。続くギルアデ人ヤイルは、22年間治め、その記述には豊かさと権力が暗示されている(3、4)。しかしたとえ長い間イスラエルを治めても、彼らを取り扱う紙面は短い。
 ヤイルが死んだ後、イスラエルはまたもや主の御前に悪を重ねた。状況が好転し、物事が落ち着くと、人が主から離れてしまうという弱さは、昔も今もあまり変わらない。彼らは主を捨て、主に仕えず、様々な偶像に仕えた(6)。それゆえに、主はご自分の民をペリシテ人とアモン人の手に渡された(7)。彼らと同じ偶像を拝みながら、彼らに支配されるとは何という皮肉であろうか。人間的な友好は、主の御前に意味をなさない。
 18年間の苦しみの中で、彼らは主に叫んだ。その叫びは、「苦しいときの神頼み」という域を脱しないものにしかすぎなかった。主は彼らを突き放している(13、14)。しかし彼らはその後、主の御前にへりくだり、外国の神々を捨て去り、主に仕えた。そのように悔い改めた民の姿をご覧になられた神の御思いが16節に示されている。今も主は同様にこの地上をご覧になられ、悔い改めて主に仕えようとしている民の姿を見ていてくださっているのではないだろか。
 主の憐れみにを覚え、苦しいときだけでなく、いつの時にも主に仕えていく者となりましょう。