主題 <ベニヤミン族へのあわれみ>
聖書箇所 士師記 21章 (2012年10月11日)
今日のみことば「ベニヤミン族はそのようにした。彼らは女たちを自分たちの数にしたがって、連れて来た。踊っているところを、彼らが略奪した女たちである。それから彼らは戻って、自分たちの相続地に帰り、町々を再建して、そこに住んだ。」(23)
十一部族は、自分たちの娘をベニヤミン族に嫁がせないと誓った(1-7)。しかし、ベニヤミン族との戦いが終わると、彼らは、神の民十二部族から一つの部族を失うことになったことを悲しみ、翌朝早く、神に全焼と和解のいけにえをささげた。そこには、何とかして紅や民族が絶たれないようにとの願いがあった。主の御前にささげていった祈りがあったが、しかし彼らは、主から答えを待つのではなく行動し始めてしまう。
それは、女性がすべて殺されたベニヤミン族の、生き残った戦士六百人に妻をめとらせるため、ヤベシュ・ギルアデに戦いをしかけ、そこから女性を連れて来て与えるというものであった(8-14)。それでも女性が足りないために、さらにシロの主の祭りで若い女性を略奪するこというものだった(19-23)。確かに、ベニヤミン族に娘を嫁がせないという誓いには反しないし、娘の家族たちから復讐されないかもしれないが、それらが主の御前に正しいことなのかが問われるはずである。
結局、一人の人への暴行から始まった事件は、シロの娘たちの略奪へと発展したのを考えるとあまりにも悲惨な事件へと発展してしまった背後に、人間的な考えと欲の恐ろしさを感じずにはいられない。
しかし、このようなイスラエルの民に対して、神は情け深く、あわれみ深い対処でイスラエルの民の回復へと導かれようとされている。
主は私たちの行いにまさって最善を行われるお方であることを覚えたい。