主題 <主を試みることば>
聖書箇所 士師記 11章 (2012年10月 1日)
今日のみことば「エフタは彼女を見るや、自分の着物を引き裂いて言った。「ああ、娘よ。あなたはほんとうに、私を打ちのめしてしまった。あなたは私を苦しめる者となった。私は主に向かって口を開いたのだから、もう取り消すことはできないのだ。」」(35)
エフタは勇士であるとされながらも、遊女の子であったため。後に家を追われることとなってしまい、ごろつき共たちと付き合うような生活をしていたことを思うと、彼の人生はあまり幸せなものではなかったと言える。そのようなエフタであったが、ギルアデの首長たちとの交渉(6~11)やアモン人たちとの交渉(12~27)で用いられた。私たちは欠点と思えること、不幸な生い立ちを理由に自分の人生を悲観してしまうことがあるのではないだろうか。しかし、これほど多くの欠点を持っていたにもかかわらず、神はなおエフタを用いることがおできになったことを覚え、神はどのような者でもお用いになられることがることを覚えたい。
もう一つエフタから忠告として学ばなくてはならないことがある。エフタはことば巧みに交渉するほどにことばに力があった。しかし、そのことばの力は誓願をたてるということで、神に信頼するのではなく、自分のことば、誓いのよって、つまりは神に対して取引の祈りのように誓願を立てることをしてしまい失敗してしまっている(30~31)。結果的に戦いに勝利したが、自分の娘を失うこととなった。でも、このエフタの娘も主の前に立てられた誓願の重みを受け止めていったことを思う時に、自分のことばではなく、どこまでも主に信頼していくことに徹底していくことが重要であることを思わされる。
自らの軽率なことばを戒め、主を試すような祈りことばとなっていなか今一度注意したいと思います。