主題 <神のさばき>
聖書箇所 列王記第二 25章 (2013年 1月25日)
今日のみことば「バビロンの王ネブカデネザルはその全軍勢を率いてエルサレムを攻めに来て、…」(1)
ついに信仰の国ユダ王国も、エルサレムもバビロン帝国に滅ぼされ、多くの人民が捕囚となって悲しみの期間をすごすのです。歴史の中に神のみ手を見出します。神は、堕落と罪、偶像礼拝に陥ったイスラエルの民を、バビロン王国をもってさばかれたのです。
けれども、バビロン王国が正しかったとか、正義の神の器なのではなく、神の民をさばく道具とされたのです。やがてバビロン王国も、神のさばきの中に壊滅していくのです。
栄枯盛衰は今日も同じだが、この捕囚の苦しみを通して、ユダヤ人は重大な経験をした。それは、信仰がきよめられたということです。この捕囚によって、堕落したままのたくさんの人がいたですが、純粋に神に従う神の民がいよいよ熱心に求めるようになり、信仰生活に光が輝いてきました。
また、捕囚はこのようにいくつものよい結果をも生んだのです。
神の厳しいさばきとともに、神の備えられた恩恵に目をとめよう。あなたへの厳しいと見える取扱いも、新たな視点から見据えること、神の視点から見るときに、あなたへの期待なのだとわかるはずです。
<祈り>主よ。あなたが私にいつも目を留め、教え、さとし、恵みによって導かれるのです。感謝をもって受け入れる謙虚な信仰を。