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2013年7月 3日 (水)

主題 <悪意ある証言に直面する>

聖書箇所  ヨブ記 20章     (2013年5月22日)

今日のみことば「これが悪者の、神からの分け前、神によって定められた彼の相続財産である。」(29)

 2-3節のツオファルのはじめの反論には驚くほどだ。もっとも19;28-29で苦難の中にいるヨブから警告されたことにいらだち、逆ギレしたのである。このような口論や議論では人を説得したり、心の痛みを和らげることは不可能だ。かえって悲しみが増す一方になるのである。
ヨブの苦難は、苦難そのものよりも周囲のいたわりのない言動からもたらされたものであった。あなたも同じような試練に直面して同じような悲しみを増した経験があるでしょう。彼のヨブへの言葉は、でっちあげたような罪を次々とあげつらうのである。責める友人達が一緒になっている。その集団に忠告やいさめる人物がいればよいが、ますますエスカレートしてゆくのである。
 19―21節には、ヨブが踏みにじり、かすめ奪い、むさぼっていると非難する。富んだ者へのねたみやあらぬ訴えをねつ造する。
 22-26節には、満ち足りていても貧しくなり、若くして健康だった者が戦いで生命を落としてしまうという。なんというひどい非難の言葉だろう。その極めつけが、「これが悪者の、神からの分け前、神によって定められた彼の相続財産である。」(29節)と言うのだ。
 今日は、悪意あるグループにいることがどんなに問題かを見極めていこう。そして悪を語る人間にだけはなるまいと決心しよう。
 こうした非難に立たされた痛みを持つヨブを推察し、一緒に悲しむ人の場に立てるようになりたいと自己訓練をしたい。悪意ある人たちのいる場に立つこともあるでしょう。でも主にゆだね、他者が立っているときには精一杯に弱い者の側、支える者の側に立とうではないか。