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2013年7月 3日 (水)

主題 <神に受け入れられる者として>

聖書箇所 歴代誌第二   15章  (2013年3月10日)

今日のみことば「ユダの人々はみなその誓いを喜んだ。彼らは心を尽くして誓いを立て、ただ一筋に喜んで主を慕い求め、主は彼らにご自身を示されたからである。主は周囲の者から守って彼らに安息を与えられた。」 (15)  

列王記には、本章の出来事についての記録はほとんどない。しかし、ここにおいて、アサ王と民とが神の前になしたことがらは、決して小さいものではない。預言者アザルヤは、重要なメッセージを王と民とに伝えた。その中心は、「主を求める」ことだった(2、4)。それは14章でもたびたび語られ(14:4,7,11等)、歴代誌全体のキーワードの一つと言える。預言に力づけられ、アサは北王国にまで宗教改革の範囲を広げる(8、9)。レハブアム王時代と同様、信仰のゆえに、アサのもとへ来た者もいた(9)。アサは可能な限り偶像を除き、北にまでその影響を与えた。
 多くのいけにえをささげ、喜びをもって誓いを立てたことは、父祖ダビデやソロモンの時代と同じであった(15)。王をはじめ神の民は、主を求めて歩むことを明確にすることを、喜んだ。15節は、この出来事の中心を示している。「ただ一筋に」という語は、レビ記に出てくる(神に)「受け入れられるように」という語と、原語では同じである(レビ22:29)。主をただ一筋に求めるということは、単に主に願い事をぶつけることではない。自らが、主に受け入れられるにふさわしくなることを求めることである。神の民は、国が整えられ、経済が盛んになることを求める以前に、彼ら白身が神に受け入れられる者となることを、神の助けによってなされるように祈った。
 私たちにも日常的なさまざま祈りの課題があるであろう。でも、まずそれらを祈る前に、何はさておき、主の前に自らが受け入れられるふさわしく整えて頂けるように祈っていきたいと思います。