主題 <嘆き疲れ果てた時に>
聖書箇所 詩篇 6篇 (2013年6月19日)
今日のみことば「不法を行なう者ども。みな私から離れて行け。主は私の泣く声を聞かれたのだ。主は私の切なる願いを聞かれた。主は私の祈りを受け入れられる」(8-9)
詩篇6篇1~3節を見るとき、ダビデは主にあわれみを求めて祈っており、その原因はダビデが何らかの罪を犯してしまったからなのか、その具体的なことは触れられていないが、いずれにしても悔い改めをもって主に願い求めている姿が伺える。
特に6節には「私は私の嘆きで疲れ果て、私の涙で、夜ごとに私の寝床を漂わせ、私のふしどを押し流します。」とあり、王としてイスラエルを統治したダビデ王が、神の御怒りを恐れ、自らの嘆き、涙で寝床をぬらしていたと告白されている。今この詩篇を読んでいるあなたは、ダビデのように夜も眠れずに、自らを嘆き、涙を流しているようなことを抱えていることがあるだろうか。もしそのようなことがあるならば、次にダビデの告白のことばを覚えたい。8節に「主は私の泣く声を聞かれたのだ。」とあり、ダビデはどんなに愚かに、神の御怒りや激しい憤りを受けておかしくない者であっても、その自らを嘆き、悔い改めの涙を流す者の声、祈りに主は耳を傾けてくださり、聞いてくださると確信している。それは、本当の意味で人の深いところの嘆き、涙に触れてくださり、とりあつかってくださるのは主なる神の他にはないことを示している。
「主は私の切なる願いを聞かれた。主は私の祈りを受け入れられる」(6:9)とのみことばを今日の私たちの歩み、祈りにおける確信のことばとして、主との関係の土台として心に刻んでいきたいと思います。