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2011年9月 1日 (木)

主題 <イエスの裁判1> 

聖書箇所 ヨハネの福音書 18章  (2011年8月22日)

今日のみことば「そこでピラトはイエスに言った。「それでは、あなたは王なのですか。」イエスは答えられた。「わたしが王であることは、あなたが言うとおりです。わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。」」(37)

 イエスはゲッセマネの園にて主の御心を求めて祈られた。そこへ、弟子のイスカリオテのユダの手引きにより、ローマ兵、祭司長、パリサイ人などおびただしい群衆がイエスを捕えた。
 捕らえられたイエスは6回に及ぶ尋問と裁判が行われる。最初は大祭司アンナスとカヤパ、次に議会、次に、総督ピラト、次に国王ヘロデ・アンテパス、そして再び総督ピラトへと次々に引き渡されていく。そもそもこの尋問と裁判は夜を徹していながらも、それほどの時間をかけることもなく、興味本位的な内容の尋問と訴えが多く、実に公平性を欠いた一方的な裁判であった。この裁判の行方を見守っていたペテロは、三度イエスを知らないと否定し、失敗を犯してしまった。
 今日は、33~38節にある総督ピラトの尋問に注目したい。ピラトはイエスに「あなたはユダヤ人の王なのか。」と質問した。イエスは、ご自分はこの世のものではないこと、そして王であること、真理をあかしするために来たと答えられた。そして、「真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。」(37)と言われた。このイエスのことばにピラトは「真理とは何ですか。」と質問しているが(38)、その答えをイエスから聞くことなく、その場を離れてユダヤ人たちのところへと行ってしまったことが記されている。ピラトの内心は、イエスのうちにさばかれる罪を見出すことが出来なかったと共に、イエスの言われることば一つ一つに興味を持ち始めていたことが伺われ、最後の質問は「真理とは何ですか。」という核心に迫る質問にまでたどり着いたと言って良いと思うのですが、その答えを聞くことなくピラトは去ってしまったというところに、真理を聞き従う者ということの差が大きくあることを思わされる。
 私たちはイエス・キリストを通して、神のみこころ、真理が明らかにされていること、まさに十字架に見るキリストの愛を通して知らされている恵みに感謝して、主に聞き従う今日を歩ませて頂きたいと思います。