主題 <イエスの模範にならって>
聖書箇所 ヨハネの福音書 13章 (2011年8月17日)
今日のみことば「それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。」 (14)
イエスは過ぎ越しの祭りを前に、自ら給仕するしもべの姿となって、弟子たち一人一人の足を洗われる洗足をしてくださった。師であるイエスが弟子たちの足を洗われたのだから、弟子たちも互いに足を洗い合うべきであると言って、その模範をしめされました(15)。実際に、イエスがその模範を示され行われたということに、今日の私たちは注目しなくてはならない。おそらく、この洗足の場面に至るまでの弟子たちは、良く議論していました。その議論の多くは「だれが一番偉いか」というもので、仕えるどころか、人を従わせようとしてばかりであったことを思わされる。そのような弟子たちの議論、話題をイエスは良く知っておられたのでしょう。かれらの無用な議論をイエスのしもべの姿となって洗足をなされたことは、彼らの議論の余地をなくし、明快に説得していく模範となることを意図されていたと言ってよいでしょう。そして、真のイエスの弟子となるために、人に仕えるということを実践していくことが不可欠であったことも意味していたことが伺えるのです。そして、この洗足の模範は、34節「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」との新しい戒め、弟子としての歩みを示されていました。
お互いを思いやり、赦し合い、受け入れ合い、へりくだって互いに仕え合うという生き方の重要性を弟子たちは随分後になってから悟っていくことになります。しかし、このように生きていくことが、後の弟子集団、教会が多くの迫害を経験しても、教会が存続していく力となり、宣教の前進となってきたことを思うのです。真の弟子となって生きていくこと、福音を宣教していく働きは、イエスの模範に倣い、従っていくところから始まっていくということを覚えたいと思います。