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2011年9月 1日 (木)

主題 <御子と御父> 

聖書箇所 ヨハネの福音書 5章   (2011年8月 9日)

今日のみことば「そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父がしておられることを見て行なう以外には、自分からは何事も行なうことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行なうのです。」(19)

 人々の関心は、イエスご自身が神と等しくして、神をご自分の父と呼んでおられたことに向けられていた(18)。このことに関して、イエスはご自分と父なる神との一体性について語られた。
 第一に、イエスご自身の行われる業は父なる神と同様の業であることを証言されました(19~20)。第二に、しイエスご自身は父から「いのちを与える権威」と「さばきの権威」が与えられていることを証言されました(21~30)。
 イエスご自身と父なる神との一体性は面等向かって見ることのできなかった父なる神をイエス・キリストを通して、明らかに見ることが許され、神の御業に直接見て触れることが許されたことに驚かされる。そればかりだけでなく、このイエスご自身がこの地上に来られた目的は御父より遣わされた主イエスを信じる者に永遠のいのちを与えられるためでした(24)。
 しかし、この主イエスが神を父と呼ぶことに懐疑心の目で見る者が実に多くいました。そして、現代においても信じることのできない人々が多いことを思わされるのです。
 今日、イエス・キリストをどのようなお方と見るかが問われます。そして、このことは私たちの救いに大きく関係していることを覚えなくてはなりません。29節「善を行った者は、よみがえっていのちを受け、悪を行った者は、よみがえってさばきを受けるのです。」とあり、この箇所は単に道徳的な善悪のことだけでなく、主イエスが復活された救い主イエス、神の御子なるお方であることを信じる者を、善を行う者とさして言われ、悪を行う者はイエスを信じない者を指して言われたことばでありました。その結果は、いのちに至るのとさばきに会うという大きな分かれ道となっていることが分かります。
 今日、私たちは霊に目が開かれ、改めて主イエスを神に御子、御父から遣わされた救い主と告白する者として歩ませて頂きましょう。