主題 <神の栄光を信じて>
聖書箇所 ヨハネの福音書 11章 (2011年8月15日)
今日のみことば「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」(40)
ベタニヤに住む兄弟ラザロが病気であるという知らせがイエスのもとに届いた。この時、イエスは、「イエスはこれを聞いて、言われた。「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。」(4)と言われた。ラザロの病は神の栄光があらわされる機会となることが暗示されていたことが言われていました。ラザロの二人姉妹マルタとマリヤはこの時点でイエスの言われたことが何を意味しているかわかりませんでした。しばしば私たちにとって不測の事態は神の許しの下にあり、神はご計画を持って、御業をあらわされるということを忘れてはならないと思わされる。
イエスがベタニアに着いた時には、ラザロは亡くなっていて、すでに四日の日が過ぎていました。姉のマルタはイエスに会い、「主よ。もしここにいてくださったら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」(21)と言っています。そこにはイエスに対する期待と信頼を持っていたことが伺えます。ラザロが死に、墓に葬られて、イエスの到着が遅かったということであきらめの心境にあったマルタに対して、イエスは「あなたの兄弟はよみがえります。」(23)と言われました。マルタは「私は、終わりの日のよみがえりの時に、彼がよみがえることは知っています。」(24)と言い、マルタが終わりの日に神の民のよみがえりの信仰をもっていたことが伺われ、しっかりとした信仰を持っていたことが伺えます。そして、「あなたが世に来られる神の子キリストである、と信じております。」との告白は、素晴らしい告白であったが、イエスが何をなさろうとされているか十分に理解できないでいました。ついに、イエスはラザロを墓から出てくるように命じられ、ラザロはよみがえりました。40節に「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」とあり、すでにラザロが病の時から求められていたことは「信じる」ということであったことが分かります。
神のみこころと御業がなされることを信じる信仰をもって今日も歩んでいきたいと思います。