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2011年9月 1日 (木)

主題 <いのちのパン> 

聖書箇所 ヨハネの福音書 6章  (2011年8月10日)

今日のみことば「イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」 (35)

 人々の関心は物質的な物に良く捕われることがあります。6章では5000人の給食の奇蹟が行われ、群衆はまさに奇蹟を体験する。そして、空腹は満たされ、イエスの驚くべき奇蹟的な業に注目していく。そこに、主イエスを信じる弟子は少なかったようである。
 イエスはこの地上の食物のためでなく、「いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。」(27)と勧められ、この地上のものによるいのちではなく、神が与えてくださる永遠のいのちを得るために働くように言われました。かつてのイスラエルの民は出エジプト後、荒野における旅において天からのマナ(パン)を得て、生きて行ったように、「天からのまことのパン」(32)こそが、世にいのちを与えるのだと教えられました。
 これを聞いた者たちは「主よ。いつもそのパンを私たちにお与えください。」(34)と願い求めました。イエスは「「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」(35)と言われ、ご自身こそが天から下ってこられたいのちパンであると言われ、決して飢えることも、渇くこともないといわれたのでした。
 弟子たちのことばに「いつもそのパンを」と言っていたことに注目される。弟子たちの願っていることは今も、そしてこれからも続けてお与えくださいと願い求めたのに対して、イエスは「わたしがいのちのパンです。」と言われイエス、ご自身と共にあることが、「いつも」という願いを保障されていることが分かります。イエスご自身のもとにいのちがあり、その祝福に満たされ続けていくという約束がそこにあることを覚えたいと思います。
 51~59節では天から下ってきたパンのくだりで、キリストの十字架と贖いの出来事を示し、それは今日の聖餐式になぞられて語られていたことでありました。聖餐式を通して、一層、罪赦されいのちに移された者として生かされている恵みに感謝するものとなりましょう。