主題 <神の助けによってできる覚悟>
聖書箇所 使徒の働き 21章 (2011年9月15日)
今日のみことば「するとパウロは、「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています。」と答えた。」(13)
パウロが地中海岸にあったカイザリヤの聖徒たちへの告別メッセージでした。神の御心を確信しているので、人間的な感情で訴えられても、少しも動揺しなかったのです。
信仰生活で、一つの大きな節目、決断は、自分の過去と現在と将来を神の御手にゆだねることをするのです。M・A・バーネット先生は、この経験を<きよめの生涯>と語り、福音伝道教団の牧師や信徒を導きました。問題のただ中で、私たちのよって立つ立場は、主イエス・キリストの御名のためならば、死ぬことさえ覚悟している、という信仰を貫徹したいのです。
もちろん、初代教会の聖徒たちも、殉教する火刑の前夜、ローソクに小指をかざしたときに、あまりの熱さに手を引っ込めてしまったそうです。しかし、一番年少だったこの青年牧師が、だれよりも勇敢に死に臨んだのだという記録があります。
自分の決意や熱心ではなく、神の助けによってできる覚悟、信仰の決断を時に迫られることが起こります。クリスチャンであるゆえに、家族や町内、職場での困難があるでしょう。しかし、信仰によって一貫して生きるときに、周囲が変ってきます。私たち自身が変えられていくのです。