主題 <主に属する自由人>
聖書箇所 コリント人への手紙第一 7章(2011年10月15日)
今日のみことば「奴隷も、主にあって召された者は、主に属する自由人であり、同じように、自由人も、召された者はキリストに属する奴隷だからです。」(22)
すべての人は、誰かのために生きるように造られております。だから、そういう性質を持っているのではないかと思います。ただその目的が見えなくなり、的外れとなってせっかくの人生が台無しになっている人々がいるのである。
ヨハネの福音書8章で「罪を犯す者は罪の奴隷である」とユダヤ人に主は語られている。聞いていたユダヤ人たちは、私たちはだれの奴隷にもなったことがないと反論している。自分の本当の状態がわからなかったのである。
ここではさらにもっと高いレベルの生活信条を描いております。奴隷でクリスチャンになった人々はたくさんいたようである。ところが彼らが奴隷解放を叫んでいないし、社会の改革を直接にはになっていない。しかし、彼らの生活は奴隷でありつつ、自由人のように生きる精神を持っていたのである。
また反対に、自由人たちもまたたくさんクリスチャンになったのである。彼らは自分たちの自由を神の栄光のためにささげることを決心する。自分のために生きないで、神の奴隷のようにささげて生きるのである。こうして教会は、社会機構を直接変えていないようで、内面からの革命をし遂げたのである。さてあなたはどうですか。