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2011年11月 3日 (木)

主題 <アダムとキリスト>

聖書箇所 ローマ人への手紙 5章  (2011年9月27日)

今日のみことば「こういうわけで、ちょうどひとりの違反によってすべての人が罪に定められたのと同様に、ひとりの義の行為によってすべての人が義と認められ、いのちを与えられるのです。」(18)

 パウロは信仰による義について教えられる中で、その信仰の対象となる主イエス・キリストについて語り始めていきます。この5章では、最初に創造された人アダムとの対比の中で主イエス・キリストがもたらしたものは何かについて教えられました。
 12節以降で、パウロはまずアダムについて語り始めます。最初の人アダムが、神に従わず、その結果罪が世界に入り込み、罪の故に死が入ったことを示されました(12)。そして、全人類は罪を犯し、罪の刑罰としての死の支配のもとにあったこと、このことはモーセに与えられる律法が与えられる前も死の支配のもとにあったことを説明しました(12)。重要なことは、たった一人の人アダムによって罪の刑罰である死に支配され、罪を犯していないという人々さえ、罪の刑罰である死の支配下にあるのだと説きました。
 しかし、キリストは、「アダムはきたるべき方(つまり、イエス・キリスト)のひな型」であると言い(14)、アダムとキリストとの共通点は、一人の人の行為が全人類に影響を与えるという点で共通していることに触れ、特に、15節、17~19節において、キリストは、罪の刑罰による死の支配下にあった全人類に対し、恵みと、神の義と、永遠のいのちをもたらしてくださったお方であると説きました。
 主なる神はアダムの犯した罪に死をもってさばかれなくてはなりませんでしたが、神はみこころのうちにキリストによって、その罪のさばきをキリストに負わせ、十字架において完全にさばかれ、そのことによって、今や罪の赦し、永遠のいのちの恵みを与えてくださったことを力説しました。
 私たちは、罪のさばき、死の支配から逃れられない小さな弱い存在であることを思います。しかし、主イエス・キリストは十字架にかかられ、神のさばきである死を代わりに受けて下さったことにより、この罪のさばき、死の支配から解放してくださったのです。キリスト以外にこの恵みを与えて下さった方はおられません。主イエスの前に罪を告白し、主から赦しと永遠のいのちの恵みを頂くものとならせて頂きたいと思います。