主題 <忠実な働き人によって>
聖書箇所 テモテへの手紙第二 2章(2011年12月12日)
今日のみことば「多くの証人の前で私から聞いたことを、他の人にも教える力のある忠実な人たちにゆだねなさい。」(2)
2章では、パウロは若い伝道者テモテに対して「キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。」(1)と勧めています。テモテが、これまでに教えられたことを実行するためには、強くあることが必要であったと言えます。しかし、その強さとは人に威圧させていくという強さではなく、恵みによって強くなることでした。自分で頑張って、自分で強くするのではない。神がどのように恵みを与えてくださっているのか、それを知ることによって与えられていく強さと言えよう。私たちはこの強さを求めていなくてはならない。
自分の働きを、テモテにゆだねようとしているパウロは、テモテにも、他の人々にゆだねるようにと勧めている(2)。ここには、四代にわたる信仰者が書かれている。すなわち、パウロから、テモテヘ、さらに、教える力のある忠実な人へ、さらにその人々が、他の人々にゆだねるのである(2)。ゆだねていくということは一見、自分のしてきた働きがなくなってしまうように感じるかもしれない。しかし、ゆだねるということは失うのではなく、その逆で新たな働きのひろがりとなることであり、忠実に仕え合うキリスト者の交わりにあってこのことは重要なことでした。実際、短期間に主の教会が広がっていったのは、パウロ一人の働きではなく、ゆだねられた同労者たちの働きが合い重なって広がった結果と言える。パウロは、テモテにということだでけでなく、さらなる先につながる働き人のために祈り、働きをゆだねていくことを勧めていたと考えられる。
また、再度パウロは、福音によって生きようとするなら、テモテも同じような困難を味わうだろうと予告している。パウロは二度目の投獄の身にあり鎖につながれていた。しかし感謝するべきことは、神のことばは決してつながれていないことであった(9)。パウロは選ばれた人々、すなわち兄弟姉妹のためにすべてを耐え忍びました(10)。しかし、彼は逆説的な素晴らしい真理を知っていた。すなわち、キリストと共に死ぬならば、またキリストと共に生きることになるのである(11)。苦しみ、困難にはやはりいつもその意味を考えさせられるものである。パウロは苦しむということは、福音が宣べ伝えられていくまさにその働きが進んでいるからであって、ますます主の栄光があらわされていることに喜び、それはキリストにあって生きているそのものであったことを実感していたのでした。困難の中にもキリストにある歩みを全うさせて頂きたいと思います。