主題 <十分に整えられるために>
聖書箇所 テモテへの手紙第二 3章(2011年12月13日)
今日のみことば「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」(16~17)
3章の前半では、終わりの時代に見られる現象、特に、真理に逆らう人々が出てくることについて言及しました(8)。そのような中で、パウロはテモテに、学んで確信したところにとどまるようにと勧めています(14)。
まずパウロは、デモテに、彼にふりかかった困難を思い起こさせている。迫害や困難に直面するときに、パウロはそれ以上に大きな感謝を主にささげている(11)。主こそがパウロの困難な状況の中に働かれ、救い導いてくださったことを実体験として語りあかししました。
12節でパウロは、「敬虔に生きようと願うものはみな、迫害を受けます」と断言している。私たちは、信仰者に対して迫害のないことは幸いな時であり、むしろ主をあかししていく絶好の機会であると感じているだろうか。迫害がないということが、実は私たちが、戦うべき戦いを避けて、妥協している結果であるかもしれないということを考えたことがあるだろうか。
私たちは、今の時代に生きても、この福音をあかしし伝えていく使命を主から頂いていることを覚え、今日も、主をあかしし主に栄光をお返ししていく歩みをする者でありたい。そのためにも語るべきことば、主のみことばに学び、主のみことばにあって生かされていかなくてはならない。もしも、みことばにとどまっていないならば、私たち自身も「だましたりだまされたりしながら、ますます悪に落ちて行く」ようになる危険性があることを知らなくてはならない(13)。 そして、聖書のみことばは今日、私たちを主の働きのためにふさわしく十分に整えてくださる。絶えずみことばに学び、実践した歩みとなるように祈っていきましょう。