主題 <教会の牧師のための祈り>
聖書箇所 テモテへの手紙第一 3章(2011年12月 7日)
今日のみことば「人がもし監督の職につきたいと思うなら、それはすばらしい仕事を求めることである。」ということばは真実です。(1節)
「監督の職につきたいと思うなら、すばらしい仕事を求めることである」ということばは真実です(1節)。教会という聖なる御国の奉仕にあずかることは、素晴らしいことです。
15項目を上げて、教会の監督の在り方を教えています。3:2「ですから、監督はこういう人でなければなりません。すなわち、非難されるところがなく、ひとりの妻の夫であり、自分を制し、慎み深く、品位があり、よくもてなし、教える能力があり、3:3 酒飲みでなく、暴力をふるわず、温和で、争わず、金銭に無欲で、3:4 自分の家庭をよく治め、十分な威厳をもって子どもを従わせている人です。」
3:5 自分自身の家庭を治めることを知らない人が、どうして神の教会の世話をすることができるでしょう。
ことに後半の3つについては詳しく説明がつけられています。
自分の家庭をよく治められ、自分の子供を威厳をもって従わせている人です。家庭の中を治められない人は教会を導くことができません。
クリスチャンになって間もないときは、高慢になりやすい。高慢はサタンの姿であり、滅びに先立つものです。
教会の外の人にも良い評判の人であることです。信仰が周囲へのあかしとして認められることは、サタンの罠にかからないためにも必要です。
牧師がこの様に歩むことができるように、とりなしの祈りが必要です。
教会役員のための祈りも大切です。8-9節の執事は牧師を助けるつとめ、役員のことと理解できます。ここにもいくつかの項目をあげた在り方が記されています。
婦人執事については、ことばの点においてことに自制するように教え、子供と家庭を良く治めるひとであることを求めています。
これらの在り方はいずれも忠実な教会生活をめざすことによって、実現してゆきます。牧師の指導や助言を大切にしつつ互いに励まし合う必要があり、小さな努力が必要となります。
執事の務めを立派に果たした人は良い報いを受け(マタイ25:21)、信仰に対するより強い確信を握るようになるのです。