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2011年12月24日 (土)

主題 <確信をもって堪え忍ぶ>

聖書箇所 へブル人への手紙 10章(2011年12月28日)

今日のみことば「ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。」(35)

 1~18節では、かつて律法に従って行ってきた儀式は、後にこられるものの影であったこと、つまりは御子キリストはただ一度ささげられ、今、私たちにも及ぶ有効な犠牲となられた方であることが語られています。
19~31節では、キリストの十字架に焦点が向けられていきます。私たちは、ご自身をいけにえとして十字架上にささげてくださった御子イエス・キリストによって、神との交わりが回復され、一人一人が直接、いつでも神に近づき、神との交わりを持ちつつ生きることができるようになりました(19-21)。それゆえ私たちは、キリストによって罪がきよめられ、私たちに有罪を宣告して神に近づくことを妨げる良心もきよめられ、神との交わりのうちに生きることができるようになったのだから、また、そのことを象徴する水のバプテスマを受けたのであるから、全き信仰をもって、真心から、神との交わりを持ちつつ生きるべきである(25)。迫害にあっても動揺しないで、希望をしっかりと告白し、一緒に集まり、キリストの再臨の日が近づいているの見て、互いに勧め合い、注意し合い、励まし合って、ますます愛と善行を促すべきであることが勧められています(23-25)。
 32~35節では、私たちに残されている財産があることが示されています。
御子イエス・キリストを信じた後、迫害を受けて苦難に会いながら激しい戦いに耐えた、初めのころを、思い起こすべきであること(32)。そして、キリストを信じる信仰のために、人々の目の前で、そしりと苦しみを受けた者もあれば、そのような目に会った人々と、苦しみを共にした者もいたこと(33)。彼らは、信仰のために獄に捕らえられている人々を、食べ物や他の必要なものを持って見舞い、また、いつまでも残る財産を持っていることを知っていたので、自分の財産が奪われても、喜んで忍んだと示されている(34)。そのように生きたのは、いつまでも残る財産を持っているという確信であり、投げ捨ててはならなことを強く勧めました(35)。
36-39節では、神の民として神のみこころを行い、やがてキリストと共に、いつまでも残る財産を手に入れるために必要なのは忍耐であると教えました(36)。私たちもこの忍耐の必要を覚え、歩ませて頂きたいと思います。