« 主題 <忍耐ととりなしの祈り> | メイン | 主題 <キリストにならって> »

2012年2月 2日 (木)

主題 <変わることのない神のみことばによって生きる>

聖書箇所 ペテロの手紙第一 1章 (2012年 1月 6日)

今日のみことば「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。」(23)

 使徒ヘテロは12使徒の中でもその人となりを聖書から伺い知ることができる一人である。主イエスの弟子として歩む中に、誰よりも主に従うことを表明しながら、しかし、主イエスが捕らえられ裁判の場にあった時には、三度も主を知らないと否定してしまう弱さを持っていた人であることが聖書に記されている。
 そのようなヘテロが再び、主に召されて、「わたしの羊を飼いなさい」との命令を受けるということは実にあわれみでしかないことを思わされる。ヘテロは教会を牧する使命が与えられるが、その時、主の教会はローマ帝国からの迫害にさらされるのである。再び、主を信じるという告白が命に関わる時代となるが、この時のぺテロは、否定するのでも、逃げるのでもなく、当時の教会を慰め、励まし続けていくのである。そのことがヘテロの手紙には表れている。
 今日の私たちにも、人間の弱さを知るペテロは、神の御力による守り(5)があることを知らせてくれている。
使徒ぺテロは、信仰者として歩むときに、しばしば試練の中に立たせられることを語ったが、その試練を通される中で、後に与えられる神の祝福、栄光のすばらしさについて語ってきた。
 以上のことに続いて、1章の後半では、身を慎み、従順に歩むように勧めている(13~15)。使徒ぺテロは神に従う歩みについて教えていくが、そこには、かつての律法学者、パリサイ人のような多くの命令、禁止事項を守るというような生き方ではなく、神は私たちの生活全体が神にもっと似るように造り変えて下さるのであって、私たちはその主に従うことを願っておられる。それ故、「わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない。」(16)とある聖なる者とされるということは、主のあがないに始まり、主のみことばによって変えられていく歩みであるということを改めて覚えていきたい。
 神のみことばは今日に変わることなく、私たちを主に似る者とならせて頂くために与えられていることを感謝したい。