主題 <さて、レビの家のひとりの人が>
聖書箇所 出エジプト記 2章 (2012年 4月11日)
今日のみことば「さて、レビの家のひとりの人がレビ人の娘をめとった。」(1)
イスラエルの激しい苦難の時代にも、神を信頼して行動していた一人の人を考えたい。レビというこの人の家族は、父が信仰的な歩みをしてゆくことによって、将来の指導者が生まれる素地を形成していたのです。『さて、レビの家の一人の人がレビの人の娘をめとった。』とある(1節)。異邦の地にあって、神への信仰もなにもあったものではない、と考えるのは当然の雰囲気だったろう。社会全体が結婚や生活についての日常の中に、神のみこころよりも、自分の生き方を優先するのは決して昔も今も変わることがない。
でも、このレビの家の一人の人は違っていた。自分の信仰を第一にしつつ、結婚も、育児も、教育も、あらゆる選択も行っていった。レビ人には、とくに神に近く仕える奉仕が備えられている。そういう信仰を人生の大事な結婚において明らかにし、選択してゆくのである。
この影響が、妻ヨケベテにも、長男アロン、長女ミリヤムにも、そして次男モーセにも受け継がれてゆくこととなる。イスラエルの救済の歴史は、こうした信仰に立つ家族から生まれてきたことをよく学んでおきたい。
モーセが成人した後に、エジプトの栄華よりもキリストの民と共に苦しむことをあえて信仰と喜びをもって選択した(へブル人への手紙11章)のも、父母の信仰の生き方が土台にある。
こうしてモーセの歩みが、この家族から始まったことを覚えて、その信仰に貫かれた足跡をみならいたい。
<祈り>あなたを『主よ』とお呼びし、従うものにして下さい。結婚も育児も、就職も、進学も、仕事も。ア-メン。