主題<わたしが主であることを、あなたがたが知るため>
聖書箇所 出エジプト記 10章 (2012年 4月21日)
今日のみことば「わたしがエジプトに対して力を働かせたあのことを、また、わたしが彼らの中で行なったしるしを、あなたが息子や孫に語って聞かせるためであり、わたしが主であることを、あなたがたが知るためである。」(2)
主をしんじて救われ、信仰が一人個人の生活に結びつくことはとても重要なことです。救われて、礼拝を厳守し、主の日を忠実に歩むことがどれほど大きな意味を持つかは自分の子どもや家族、周囲の人々への証となります。その救いを代々語り継いでゆくのです。子どもたちがなぜ、お父さんが、お母さんがそれほど神を愛し、隣人に仕える生き方をされているのか、ぜひ知りたいと願うようになってほしい。
神は、イスラエルを苦難から救われて、乳と蜜の流れる地、約束の地へと導かれるのに、エジプトを用いられ、奴隷からの解放の道を用意されたのだろう。その神の恵みを語り継ぐための配剤であった。
イスラエルの中に神の計画が進められることには、神の干渉が豊かに現わされたのです。神は、十の数々の奇跡によって神の民とエジプトを区別し、特別に取り扱われていることを明らかにされた。
エジプトのパロ王は、神に従わないことによって自分で自分の「心をかたくなにした。」のであり、裁きを身に招きます。神が罪を示されて「私は罪を犯した」(16-17節)と告白したにもかかわらず、神に従わずに、滅びを刈り入れたのです。
こうして神が生きておられ、ご自分の民を特別に取り扱われていることを知らされたのです。それは、今の私たちに対する神の取り扱いでもある。どれほど大きな罪と失敗を重ねても主の十字架による完全な愛を明らかにしているからです。