主題 <わたしはパロの心をかたくなにし>
聖書箇所 出エジプト記 7章 (2012年 4月18日)
今日のみことば「わたしはパロの心をかたくなにし、わたしのしるしと不思議をエジプトの地で多く行おう。」(3)
神様のなさることは人の賢さと違う。人間的見れば全く反対のことをなさる。進むべき道に立ち塞がることさえしているようにさえ思える。
パロ王の心をほかならぬ神様がかたくなにすると語る。(3節)。しかもそれでパロの心はかたくなになり、強情で民を行かせない(13~14節)ようにさせてしまっている。それが主のいわれる道であると(22節)念をおしておられるのである。
神様がパロの心をかたくなにしたのは、パロへの神様の裁きなのです。柔らかな心をもって主の声と取扱いを受けたなら、どんなに祝福されたことでしょうか。神の声を聞きつつ拒否していくのは、実は自分自身の罪である。この罪がいっそう心をかたくなにさせ、滅びの道にゆかせてしまう。
かたくなさは、自分で道を踏み固めるように、自分で心をとざして行く行為なのです。
こうしたかたくなな主に向かう神の僕は早や80才、83才なのです。一切の働きの背後に生ける神様がおられる事を覚えよう。周囲のかたくなな人々驚くことなく、その中にさえ行き届いた神のみこころがあることを、覚え今日一日も上を見上げつつ歩もう。
<祈り>主よかたくなな人はいっそうかたくなになり、心の柔らかな人は一 層、主のかたちが造られます。どうぞ柔らかな心をください。アーメン。