主題 <共に食するいけにえ>
聖書箇所 レビ記 7章 (2012年 5月29日)
今日のみことば「和解のための感謝のいけにえの肉は、それがささげられるその日に食べ、そのうちの少しでも朝まで残しておいてはならない。」(15)
1~10節は、罪過のためのいけにえについて教えられている。このいけにえの脂肪、肉の取り扱いは(2~5)、「罪のためのいけにえ」と同じである(7)。また、「全焼のいけにえ」の皮、料理した「穀物のささげ物」の一部も、祭司の家の所有となった(8~10)。
11~38節は、「和解のいけにえ」についてである。
「感謝のいけにえ」である場合には(12~15)、「和解のいけにえ」の家畜のほかに、油を混ぜた種を入れない輪型のパンとせんべい(薄焼きのパン)などを添えてささげなければならず、またささげた人は、肉をその日のうちに食べなければならなかった。「きよい者はだれでもそれを食べることができる。」(19)とも規定されているので、ささげた人だけでなく、他の人も食べることができ、喜びを共にしたようである(申命記12:11~28)。
しかし、「和解のいけにえ」が「誓願」のため、あるいは「進んでささげるささげ物」としてささげられる場合(16)、その肉は、三日以上残してはならなかった(16~18)。この理由は、「和解のいけにえ」の意味が、「神との交わり」を持つことであるため、三日以上残すことは「神との交わり」を軽視することになったからであると考えられる。「和解のいけにえ」の肉は、それが「汚れ」に触れたとき、また人が汚れているとき、食べてはならなかった(19~21)。「その民から断ち切られる」(20~21)ことのないためであった。
ささげられたいけにえを共に食するという事の中に、分かち合うという恵みを共にするということであり、今日に私たちの交わりの土台であるということを改めて教えられます。