主題<モーセの謙遜さ>
聖書箇所 民数記 12章 (2012年 6月30日)
今日のみことば「さて、モ-セという人は、地上の誰にも勝って非常に謙遜であった。」(3)
モ-セは指導的な有力者に非難されたのです。しかもそれは、ミリアムとアロンであった。結婚問題を利用して、モ-セに反抗する口実としたのです。
彼等は自分の副官としての地位では満足できず、指導者になろうとしたのです。今でも多くの人も同様のことを試みるが、下の地位で忠実でない人は上の地位でも不忠実であり、ふさわしくないのである。
2節『主はこれを聞かれた』とある。問題を引き起こす者はしばしばすべてを主が聞いておられることを忘れてしまうのです。神は常に臨在し最善の時を見て断乎たる処罰をなさるのを思い起こそう。
モ-セはこの時、何も一言も弁解していない。自分への攻撃を辛抱強く堪え忍んだのです。ただ彼には民を約束の地へ導くこの目的のために、時には神はそのしもべの一人に、霊的利益のため身の潔白を明らかにされるまで長い間、不当の非難の雲で覆われることをよしとされることがあるが、この場合には神は即刻さばきをくだされたのです。
私たちの中に汚れを温存してはなりません。親しみをもってかくまってはなりません。悪を断然、捨てて、追出す覚悟が必要です。なぜでしょうか。
ツアラート(らい病人)などは伝染するからです。罪は知らず知らずのうちに生涯を台無しにしてしまうからです。また交わりにおいても『悪い交わりはよい習慣を損ないます。』とあります。心しなければなりません。
<祈り>主よ。たかぶる所の罪を告白します。きよい生涯にして下さい。