主題 <いつまで延ばしているのか>
聖書箇所 ヨシュア記 18章 (2012年 9月14日)
今日のみことば「そこで、ヨシュアはイスラエル人に言った。「あなたがたの父祖の神、主が、あなたがたに与えられた地を占領しに行くのを、あなたがたはいつまで延ばしているのか。」(3)
七部族の占領すべき地についてヨシュアは民を励ましている。『いつまで延ばしているのか』 この聖句は、さばきの言葉ではないだろう。
約束の土地を前にして、かつて自分がそうであったように、各部族から三人ずつ斥候を選び、土地の調査をし、割り当てたのである。
約束を受けとりながら、立ち止まっている経験はないだろうか。自分の能力をはかり、いたずらに嘆いてはいないか。戦う相手に気を取られて、主なる神の約束がずっと後ろに後退していまいか。しかも手をこまねいて、いたずらに時間を使っていないだろうか。
『いつまで延ばしているのか』と今日も、主は私に対して、叱責というよりも、新たな励ましを与えている。取るべき所なお多しである。約束をとらえる信仰と、そこに踏み込む信仰を働かせなくてはいけない。
ところでレビ族には割り当て地がない。主の祭司として仕えることが、その相続地であるからだ。祭司として仕えることは全イスラエルの祝福のために全生涯、全家あげて仕えるのである。それはきわめて大きな栄光であると共に、責任の大きさもはかりがたい。献身者のためにも祈ろう。
<祈り>主よ。約束をいただきつつも、恵みの祝福を受けるのを延ばしてしまう怠惰から解放してください。ア-メン。
<祈りの課題>