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2012年9月20日 (木)

主題 <モーセのとりなしの祈り> 

聖書箇所 申命記 9章      (2012年 8月 2日)

今日のみことば「それで、私は、その四十日四十夜、主の前にひれ伏していた。それは主があなたがたを根絶やしにすると言われたからである。」(25)

 モーセは、罪を犯した民を見捨てることなく、またもや四十日四十夜、断食して神の御前に祈った(18)。とりなしとは、神の御前に、だれかに代わって願うことである。モーセは神の民全体のためばかりではなく、兄アロンのためにもとりなしをした(20)。モーセは、罪を引き起こした鋳物の子牛を火で焼き、打ち砕き、粉々にして川に投げ捨てた(21)。
 荒野の四十年を振り返る時、民はタブエラでも、マサでも、キブロテ・ハタアワでも、主を怒らせた(22)。民の罪は、一度や二度ではなかったのである。「あなたがたはいつも、主にそむき逆らってきた」と言われるほどに、彼らは日常的に罪を犯してきたのである(24)。
 26~29節に、モーセのとりなしの祈りが記されている。モーセは何を根拠として、神に訴えたのだろうか。まず彼は、イスラエルが「あなたの所有の民」、すなわち神と契約を結んだ民であることを、またそれゆえに、神の偉大な御力によって蹟い出された者であることを強調している(26)。また、先祖アブラハム、イサク、ヤコブに対する契約に訴え(27)、周りの諸国家への証しとなるようにと、神に訴えている(28)。
 結局は、罪を犯した民自身は、契約の当事者ではあるが、神の御前に訴えるべき何の根拠も持たなかったのであり、ただ、神のあわれみにすがるほかはなかったのである。私たちも、自分に当然、神の御前にとりなす資格があるなどと思ってはならない。でも、私たちもモーセのような謙遜なとりなし手となれるように祈ろう。