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2012年9月20日 (木)

主題 <主への背信> 

聖書箇所 申命記 32章     (2012年 8月25日)

今日のみことば「まことに、彼らは思慮の欠けた国民、彼らのうちに、英知はない。もしも、知恵があったなら、彼らはこれを悟ったろうに。自分の終わりもわきまえたろうに。」(28~29)

 32章はモーセの歌が記されている。今日は19節以降に歌われている主への背信について注目したい。神の恵みをないがしろにしたイスラエルの背信の結果は何であったのか。神は、決して罪を見過ごされることはない方である。
 19~25節には、背信のイスラエルに対する、神のさばきが語られている。民への怒りによって、主は彼らを退けられた。神が顔を隠すという擬人的表現は(20)、神がもはや民を顧みられなくなったことを示している。彼らは、神でないもの(偶像)によって、神のねたみを引き起こしたので、神も同じように神の民ではないもの(異邦人)によって、イスラエルにねたみを引き起こすと、主は仰せられる。義なる神の怒りの激しさが、22節では、焼き尽くす火にたとえられている。「わざわいを彼らの上に積み重ね」とあるように(23)、飢え、災害、悪疫などが(24)、イスラエルの乳飲み子から白髪の老人にまで、容赦なく臨むようになる(25)。
 26~35節には、それが主による復讐であり、報いであることが明らかにされている。もし、民に思慮と知恵があったなら、滅びを免れることができたはずだと、主によって言われている(28)。30節の「彼らの岩」とは主のことだが、31節の「彼らの岩」は、敵の頼みとする偶像の神を指しているので、注意して読む必要がある。
 主への背信の罪に対して、必ずさばかれることが語られている。しかし、その一方でさばきを避けられることに触れられている。それは、今日、神のみことばに聞くところにあることをさとらなければならにことが教えられている。