主題 <主の御教えを一生の間読んでいくこと>
聖書箇所 申命記 17章 (2012年 8月10日)
今日のみことば「自分の手もとに置き、一生の間、これを読まなければならない。それは、彼の神、主を恐れ、このみおしえのすべてのことばとこれらのおきてとを守り行なうことを学ぶためである。」(19)
17~26章においては、神の民の社会生活についての教えが書かれている。
1~7節は、神へのささげ物は完全なものでなければならないことと、偶像礼拝を根絶するための厳しい処置について語られている。
8~13節においては、民事や刑事事件が起こった場合の処置の仕方について、教えられている。まず争いごとが起こると、その地域でさばきがなされた。しかし、そこで手に負えない場合には、主の選ぶ場所に上り、レビ人の祭司たち、さばきつかさのもとに行って、さばきを受けなければならなかった(8~11)。
14~20節は、イスラエルの王についての規定である。元来、イスラエルは、神ご自身が統治される国家である。しかし将来、民が隣国に倣って王を立てたいと要求することを仮定し、その場合の注意が与えられている。王は神の選ぶ者でなければならなかった。また、同胞イスラエルの中から選ぶことが求められた(15)。さらに、王に対する三つの禁止条項が示されている。第一は、王は自分のために馬を多くふやしてはならなかった。第二は、多くの妻を持ってはならなかった。第三は、自分のために金銀を非常に多くふやしてはならなかった。イスラエルにあっては、王は神のしもべであることを覚えて、高ぶることなく、神を恐れ、律法を守り行うべきだったのである。
主のみことばが生活の規範となるようにいつもみことばに聞く者となろう。