主題 <最良のものをもって>
聖書箇所 申命記 26章 (2012年 8月19日)
今日のみことば「今、ここに私は、主、あなたが私に与えられた地の産物の初物を持ってまいりました。」あなたは、あなたの神、主の前にそれを供え、あなたの神、主の前に礼拝しなければならない。 」 (10)
1~11節では、初物のささげものの奉献について、記されている。
荒野を四十年開旅したイスラエルの民は、約束の地に導き入れられるなら、定住生活になり、農耕生活を営むことになる。これは彼らにとって一大変化である。彼らは、額に汗を流す労働によって収穫を得るようになる。そのとき、自分の力によって収穫を手にしたと考えるなら、神の恵みを忘れることになる。そうならないように、神のもとに収穫の初物を携えて、神を礼拝することは、彼らにとってきわめて大切なことである。これが神の恵みに対する正しい応答と言える。
12~15節は、三年ごとの十分の一のささげ方について、教えたものである。十分の一は、全体を神にささげる象徴であって、残りのものはすべて自分のものだという意味ではない。
また神を礼拝することと、食糧などの必要を抱えているレビ人や在留異国人などの隣人に配慮することとは、切り離してはならないことであった。
民は、そのささげものが、聖別されたものであることを告白する必要があった。たとえば、喪中にそれを食べなかったことや、死人に供えなかったことなどで(14)、神がささげる者の心をご覧になるということを、示している。
主にあって導き出されたイスラエルの民が主に感謝し、最良ものをささげ仕えていくように勧められていたことを覚え、私たちも主に救われた者として最良のものをささげつつ主に仕える者となろう。