主題 <主にゆだねて生きる>
聖書箇所 サムエル記第二 16章 (2012年12月 1日)
今日のみことば「ダビデはアビシャイと彼のすべての家来たちに言った。「見よ。私の身から出た私の子さえ、私のいのちをねらっている。今、このベニヤミン人としては、なおさらのことだ。ほうっておきなさい。彼にのろわせなさい。主が彼に命じられたのだから。」(11)
ダビデたち一行にツィバがもたらした糧食は、どれほどありかたいものであったろうか(1、2)。ツィバはメフィボシェテの裏切りのことばをダビデに伝えた(3)。ダビデはツィバのことばの真偽を詮索することなく、即座にメフィボシェテに与えた土地をツィバのものとすると告げた(4)。
サウルの家のシムイの仕打ちは、どれほどダビデたちを打ちのめしたことであろう。彼はダビデをのろい、石を投げつけながらしつこくついて来た。かつて油注がれた王であるサウルに手を下してはならないとダビデに制せられたアビシャイは、王にのろいのことばをぶつけてくるシムイは当然罰せられるべきだと考えたが、ダビデは「彼にのろわせなさい。主が彼に命じられたのだから」と言って、はやるアビシヤイを制した。ダビデは、今は主の御前にへりくだる時だと考えたのであろう。主の力強い御手の下にへりくだる者を、主はちょうど良いときに高くしてくださるという信仰を、彼は控えめながら言い表している。
フシャイはダビデの指示に忠実に従い、エルサレムに到着したアブシャロムを「ばんざい」の連呼で迎えた。アブシャロムからその無節操ぶりを指摘されると、アブシャロムに仕える意志を大胆に表明し、彼の信頼を得た(16-19)。ダビデのそばめのところに公然と入るようにとのアヒトフェルの助言は直ちに実行に移され、ナタンの預言のとおりになった(21、22)。