主題 <主が決めておられたゆえに>
聖書箇所 サムエル記第二 17章 (2012年12月 2日)
今日のみことば「アブシャロムとイスラエルの民はみな言った。「アルキ人フシャイのはかりごとは、アヒトフェルのはかりごとよりも良い。」これは主がアブシャロムにわざわいをもたらそうとして、主がアヒトフェルのすぐれたはかりごとを打ちこわそうと決めておられたからであった。」 (14)
アヒトフェルによってダビデの追撃が始まった。アヒトフェルの作戦は、まだ遠くまで行かないうちに追跡し、急襲して王を討ち取れば、民はアブシャロムにつくようになるというのである。
ところがアブシヤロムは、何を思ったか、もう一人の参謀フシャイの意見を求めた。フシャイはまず、アヒトフェルの作戦の問題点を指摘し、危惧される事態を挙げて、聞き手に不安を起こさせ、その上でことば巧みに自説を展開した。彼は、ダビデとその家来たちの勇猛さと戦略家としての巧妙さを強調し、もし民の中に戦死者が出るようなことになれば、士気が一気に低下して、たちまち戦意を失うことになる。むしろ全イスラエルに召集をかけ、アブシャロム自身が大軍を率いて戦いに臨み、ダビデたちを数で圧倒して、残らず滅ぼすのが得策だと主張した(7-13)。フシャイはダビデたちが安全な場所まで逃げのび、戦いに備えるゆとりが与えられるように、少しでも多く時間を稼ぐことを意図していたのであるが、アブシャロムと民が採用したのは、何とフシャイの作戦の方であった。「主がアヒトフェルのすぐれたはかりごとを打ちこわそうと決めておられたからであった。」(14)以前、アヒトフェルがアブシャロムの謀反に加担しているという知らせを受けたダビデが、とっさに祈った、「主よ。どうかアヒトフェルの助言を愚かなものにしてください」(15:31)という祈りを主は確かにお聞きくださり、お応えくださった瞬間だった。