主題 <和解すべきだったのに>
聖書箇所 サムエル記第二 18章 (2012年12月 3日)
今日のみことば「すると王は身震いして、門の屋上に上り、そこで泣いた。彼は泣きながら、こう言い続けた。「わが子アブシャロム。わが子よ。わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブシャロム。わが子よ。わが子よ。」」(33)
ダビデは息子アブシャロムと戦うこととなった。ダビデはこの戦いに積極的になれないのは、父と子が争うということに困惑し、戦う相手が同じイスラエルの民であるゆえに、なるべく被害を最小限度にしたい思いがダビデにあったが(5)、その戦いの結果はイスラエルの民が多く死に、息子アブシャロムは頭が樫の木に引っ掛かり宙吊りになったところをヨアブによって死ぬという悲惨なものであった。
老練なヨアブは、この勝利の知らせが、王を喜ばせないことをよく知っていた。それで彼は、王のためにと一途に思う若者アヒマアツを伝令に走らせたくなかったのである。代わりにクシュ人(エチオピア人)が送り出されたのであるが、アヒマアツの方が、先にダビデのもとに行き着いてしまった(23)。
アヒマアツが喜びいっぱいで報告した勝利の知らせに、王は期待したような反応を示さず、「若者アブシャロムは無事か」と聞いた。ヨアブの忠告の意味をとっさに悟ったアヒマアツは、その件について自分は何も確かなことを知らないと告げた。遅れて着いたクシュ人から、控えめな表現ながらアブシャロムの死が伝えられると、「王は身震いして、門の屋上に上り、そこで泣いた」。彼は息子の名を呼び続け、自分が彼に代わって死ねばよかったとまで言って死を惜しみ、王としての立場を忘れて悲しみの中に閉じこもってしまった(33)。
もっとも身近な親子の関係に和解がもたらされていたなら、民を巻き込んでこれほどの大きな痛みにはならなかったであろう。今日、私たちも和解すべき人がいるならば速やかに和解することができるように祈ろう。