主題 <主の霊は働き始められる>
聖書箇所 士師記 13章 (2012年10月 3日)
今日のみことば「そして、主の霊は、ツォルアとエシュタオルとの間のマハネ・ダンで彼を揺り動かし始めた。」(25)
13章から登場してくるのが、最後の士師のサムソンである。本章では、サムソンの誕生について記されている。
サムソンの誕生する頃のイスラエルは、一見これまでと異なるものが伺える。これまでは、イスラエルが苦しみの中で主に叫び求めた時に、多くの場合、主は彼らに助け手を送ってくださってきた。しかしここには、主への叫びも、罪の悔改めも記されていない。これまで嘆きの声を主にあげていた姿や悔い改めていた姿が描写されてきたのに、ここに至っては何も記されていない。でも、最後の士師の誕生が先立って記されていることに、神の先行したあわれみが浮かび上がって来るように感じさせられる。
また、サムソンの誕生については、その両親に予告されたということがこれまでと異なる点である。しかも「その子は胎内にいるときから神へのナジル人である」と告げられた。そして、その時から、ごく普通の平凡な夫婦であったマノアとその妻が、神の救いのみわざを担うものとされた。主の使いは、彼らにも、ナジル人の規定を守るように指示している(4、`14)。このように、本人たちがまだ充分に意識していないようなときから、主は彼らをご自身の救いのみわざのために用い始められたのである。
神の救いの御業は神の憐れみのうちに先行して行われていくということ、何も分からないマノア夫妻を通して用いられていく中に始まっていったことを思うと、主イエスによる救いの御業もまさに神の何にも先行した愛によって始まっていることを思い起こさせてくれるのではないだろうか。主の愛、その救いの御業に感謝しよう。