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2013年1月16日 (水)

主題 <主の御声を待ち望み>

聖書箇所 サムエル記第一 13章 (2012年10月28日)

今日のみことば「サムエルはサウルに言った。「あなたは愚かなことをしたものだ。あなたの神、主が命じた命令を守らなかった。主は今、イスラエルにあなたの王国を永遠に確立されたであろうに。」 (13)  
 王制を支えるための三千人規模の常備軍が編成され、二千人がサウルのもとに、千人がサウルの息子ヨナタンのもとに置かれた(2)。ヨナタンがペリシテ人の守備隊長を打ち殺したことをきっかけに、ペリシテ人との戦いが始まった(3、4)。
 この戦いは、一般的な見方をするなら、初めから勝ち目のない戦いであった。圧倒的な軍事力を誇るペリシテ軍に対して、イスラエル軍は、手にする武器すら、ろくになかったのである(5、22)。イスラエルの人々はペリシテ軍の脅威の前に恐れをなし、逃げ隠れた。サウルに従う兵士たちの士気は低く、「震えながら彼に従っていた」(6、7)。
戦いを前に、主を礼拝しなければならなかったが、サムエルは、約束の七日間を過ぎてもやって来なかった。民が離れて行くのを恐れたサウルが、自分の権限を越えて全焼のいけにえをささげ終わったその時、サムエルが到着した(8-10)。民の離散、サムエル到着の遅延、情勢の緊迫化を理由に、自分のしたことを正当化しようとするサウルに対して、サムエルは、主がみこころにかなう次の王をすでに用意しておられると告げた。彼が「主の命じられたことを守らなかったから」である(11-14)。
 私たちはサウルのような失敗を時に、サウルがしたように正当化して反論することはないだろうか。この時、問われたことは、主の前に忍耐して待つことであったと思うが、これが本当に難しいことでもある。主に対する全幅の信頼こそがいつの場合でも問われるということを覚えたい。