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2013年1月16日 (水)

主題 <喜びを持って主の御前に>

聖書箇所 サムエル記第二  6章 (2012年11月21日)

今日のみことば「ダビデは、主の前で、力の限り踊った。ダビデは亜麻布のエポデをまとっていた。」(14)

絶えず、主に拠り頼み、主に導かれて来たダビデにとって、「万軍の主の名で呼ばれる神の箱」を、自らの統治の中心に据えることは、何よりも最優先されるべきことであった。神の箱は、ペリシテ人との戦いに破れたときに、一旦は奪い去られたが、不思議な経緯で送り返されて来て以来、長い間、ユダのバアラのアビナダブの家に置かれたままになっていた(Iサムエル7:1)。ダビデは、民と共に出かけて行き、神の箱を新しい車に乗せて、エルサレムに運び上ろうとした(2、3)。彼らは、「歌を歌い」、楽器をかなで、「主の前で、力の限り喜び踊った」(5)。
しかし喜びは、思いがけない一つの出来事によって、恐れに変わってしまった。車が大きく揺れて、神の箱が引っくり返りそうになった時、そばにいたウザは思わず手を伸ばして神の箱を押さえたことにより死んでしまった(7)。ダビデは、神の箱を運び上ることを恐れ、ガテ人オベデ・エドムの家に回した。  
ところが神の箱がとどまっていた三ヶ月間、オペデ・エドムの家は祝福された。それを知ったダビデは、思い直して再び神の箱をエルサレムに運び上ることにした。今回は、神の箱の本来の運び方に従って、しかも肥えた牛をいけにえとしてささげながら、主を恐れつつ運び上った。しかし彼は、今回も喜びを内に抑えていることができず、「主の前で、力の限り踊った」(14)。エポデだけを身に着けての踊りだったようである(14、20)。サウルの娘ミカルは、彼の喜びを理解できず、裸で踊る夫をさげすみ、家族を祝福しようと帰宅した夫を、皮肉なことばで迎えた(20)。
主の御前に喜びを持って踊ったダビデの姿に喜びをもって主を礼拝する者の姿勢を学びたいと思います。