主題 <どこに行くににも主が共におられること>
聖書箇所 サムエル記第一 18章 (2012年11月 2日)
今日のみことば「ダビデはその行く所、どこででも勝利を収めた。主が彼とともにおられた。」(14)
ペリシテ軍との戦い後、ダビデはサウル王に謁見が許され、ダビデは千人隊の長となった(5、13)。主がダビデと共におられたので、「その行く所、どこででも勝利を収めた」(14)。彼が民の先頭に立って行動していたので、民は彼を愛した。
しかし、民たちのダビデに対する高評価はサウルにとって王位を脅かす存在と見られ、ダビデを恐れるようになった(13~16)。
ダビデに対してねたみと疑念を抱くようになったサウルは、発作的に起こる彼の病的な苛立ちを静めようと、懸命に立琴を弾くダビデめがけて、いきなり槍を投げっけた。ダビデは二度も身をかわし、危うく難を逃れた。
ゴリヤテを倒した者に約束された、王の婿となる話は、一旦はダビデにとって恥辱となる結果になったが、ペリシテ人の手でダビデを始末しようと図るサウルは、ダビデを愛するミカルを、危険な花嫁料と引き替えにダビデに与えた。しかし、結果は彼の思惑どおりにはならなかった(25-27)。
サウルは、主が自分のところから去って、ダビデと共におられるのを見てダビデを恐れ、「いつまでもダビデの敵となった。」(12、29)
ダビデの功績は賞賛されるべきことであったが、サウル王からのねたみの原因となってしまう。この時からダビデはサウル王から命を狙われるという苦難の日々が始まって行く。しかし、ダビデはこのような窮地にあっても主に信頼しつづけていたことに学びたい。