主題 <律法学者エズラ>
聖書箇所 エズラ記 7章 (2013年4月 7日)
今日のみことば「エズラはバビロンから上って来た者であるが、イスラエルの神、主が賜わったモーセの律法に通じている学者であった。彼の神、主の御手が彼の上にあったので、王は彼の願いをみなかなえた。」 (6)
律法学者エズラの信仰による偉大さを学ぶことができます。
第一に、モーセの律法を深く学び、調べたのです(10)。聖書を読む、調べる、学ぶことの重要さは、今日始められる一日の歩みに与える力ははかり知れません。
第二に、モーセの律法について実行しようと心に定めています(10)。論語読みの論語知らずという諺で示されるように、律法読みで律法を守ろうとしない人の人生も空虚なものです。実行には必ず困難が伴います。実行しようと心定めたエズラの信仰を学びたい。
第三に、「おきてと定めを教えようとして、心を定めていた」(10節)のです。自分が学び、そして実行するばかりでなく、人に教えようとする熱意は、神の民に対する愛以外の何ものでもない。人々の生活が神の言葉によって変えられ続けて、文字通り神の国が形成されることへの愛です。
アルタシャスタ王は、エズラのこの深いみことばへの生き方に対して敬意を払い、彼のことばと生活から神を見たのである。こうして、王は彼の願いをみなかなえていくのです。(21~28)
「わたしたちの先祖の神、主はほめたたえられますように。主は、このようにエルサレムの神殿を栄えあるものとする心を王にお与えになり、」(27)と記録にあります。世俗の王が、神によって変られていくのです。
私たちは、政治や宗教などの指導者たちが神の導きを受ける祝福をいつも祈ることをしたい。パウロも、王たちのために願えと命じてもいる(第一テモテへの手紙2;1)。神と世俗は相容れないと思いがちですが、今日はそうした祈りの課題が新しく開かれていることを覚えて祈ることを始めよう。