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2013年7月 3日 (水)

主題 <過ぎ越しの食事を食べる> 

聖書箇所 エズラ記   6章    (2013年4月 6日)

今日のみことば「捕囚から戻って来たイスラエル人と、イスラエルの神、主を求めて、この国の異邦人の汚れから縁を絶って彼らに加わったすべての者たちとは、これを食べた。」(21)

長い間、敵の妨害によって工事が滞りましたが、やがて時が来るときに新しい芽が成長し、神の働きが驚くほどに神の宮の工事にあたって、彼らを力づけるようにされたからである。(22節)神殿の再建のための妨害が、かえって、タテナイたちの反対はかえって逆転し、神殿を建てるために糧食を与えて工事を行うようにせよ、ということになるのです。こうして、ユダヤ人たちの長老たちは神殿の造営を完成させ、成功したのでした。(14節)
 長い間の抵抗、反逆、妨害によって中止されていた働きが完成したときには、どんなに喜びが大きかったでしょうか。無力で貧しい中からの感謝の犠牲は、ソロモンの時の神殿に比べるなら、とても見劣りはしたかも知れない。しかし、神の助けと愛と導きを信じてきた人々に計り知れない慰めをもたらしました。それだけに力の限りの賛美と喜びが民の中から湧き上がったことだろうと思う。この喜びが、7日も続けられた背景に、目に見えない神様が働いていたと、エズラは見ているのです。全天全地を支配されるお方が、彼らを喜ばせ、力づけたとあります。小さな者に目を留め、落胆した魂を力づけ、喜ばせることが主の喜びなのです。神が人の間に住み、人と関わり、人を喜ばせるのです。「主が彼らを喜ばせ、………王の心を彼らに向かわせ、彼らを力づけるようにされた。」(22)とあるのは、天の神の配慮です。神を愛する人々のために万事を益とされるのです。神を愛する、この一事に励むなら、あとは主が事を行って下さるのです。思い煩うことを主にゆだねて、主の働きを待ち望む信仰者となろうではないか。