主題 <自分には問題があるが言わなければ気が済まない>
聖書箇所 ヨブ記 9章 (2013年5月11日)
今日のみことば「神は心に知恵のある方、力の強い方。神に身をこわくして、だれがそのままで済むだろうか。」(4)
ヨブと友人の信頼関係は崩れました。ヨブの苦悩と絶望感はいっそう深くなるばかりです。2節の「まことに、そのとおりであることを私は知っている。しかし、どうして人は自分の正しさを神に訴えることができようか。」のように、正統的な神学もヨブの一切の問題を救うことができない。ことに信仰の問題は人格的なものだからである。
ヨブはビルダテに対しても反論する。たしかに、君の言っていることは正しいのだろう。その通りだ。だから自分の正しさを振りかざして反論できるわけではない。そのうえ神に対してはなおさらだ。神に身をこわくして強がっても、反抗してもどうにもならないのだ。こうして自分を懸命に主張しても、それが無駄であることを知りつつも主張せざるを得ないのだ。これがヨブの苦悩なのである。
ヨブの自分を正当化する言葉をたくさん見る。17-18節「神は理由もなくあらしをもって私を打ち砕き、理由もないのに私の傷を増し加え、私に息もつかせず、私を苦しみで満たしておられる。」と。
そして、21―22節には「私は潔白だ。しかし、私には自分自身がわからない。私は自分のいのちをいとう。みな同じことだ。だから私は言う。神は、潔白な者をも悪者をも共に絶ち滅ぼされる。」と悲鳴を上げているのだ。だれがこのヨブの悲しみの告白の深い嘆きを知るだろうか。みんな友人の側に立っているようなものだ。ヨブの嘆きに心を一つにする人々がいないばかりか、苦しめるのだ。
だからこそ、ヨブは自分を主張しないわけにはいかない。自分には人間であるゆえに、完全でもなく、問題がないわけではない。だが、自分を自分で支えなくてだれが支えてくれようか。これが叫びだ。